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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)982号 判決 1966年1月31日

原告(反訴被告) 華北塩業股分有限公司

被告(反訴原告) 中村孝次郎

主文

(一)  原告が訴外株式会社三菱銀行に対し、昭和三二年二月二五日預入れに係る金額五三六万一、四六七円、利息年四分、期間三カ月なる定期預金債権を有することを確認する。

(二)(1)  原告は、被告に対し金五三六万一、〇〇〇円を支払え。

但し、原告の右債務については、被告は原告の整理財産に属する資産に対して強制執行をすることができない。

(2)  原告に対し金員の支払を求める被告のその余の反訴請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は、本訴および反訴を通じこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

其の一、本訴請求事件について。

第一(当事者双方の申立)

原告訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め、

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二(原告の本訴請求原因)

(一)  原告は、終戦前国外に本店を有し、当時の大蔵省専売局に塩を納入していた法人であるが、昭和二四年八月一日、「旧日本占領地域に本店を有する会社の本邦内にある財産の整理に関する政令」(昭和二四年政令第二九一号、以下単に政令という)に基き、主務大臣の告示により右政令第二条第一項第一号にいう「在外会社」に指定され、爾来特殊整理人によつて整理を実施中の会社である。

(二)  しかして原告は、訴外株式会社三菱銀行(以下単に訴外銀行という)に対し、昭和三二年二月二五日預入れに係る金額五三六万一、四六七円、利息年四分、期間三カ月なる定期預金債権を有するところ、被告は同年三月一五日、原告に対する強制執行として、東京法務局所属公証人高野正保作成昭和三一年第一、二四三号委任契約公正証書の執行力ある正本に基き、原告の訴外銀行に対して有する右預金債権金額につき、原告を債務者、訴外銀行を第三債務者として、東京地方裁判所に差押命令および転付命令を申請し、(同庁昭和三二年(ル)第三七四号事件)、同年三月二五日右申請どおりの命令を受け、右各命令はその頃原告および訴外銀行にそれぞれ送達された。

(三)  しかし右差押命令および転付命令は、次に述べるとおり、政令第八条第一項所定の強制執行禁止の規定に違反し、実質的に効力を生ぜず、したがつて右差押および転付に係る前記預金債権は、依然原告に帰属するものというべきである。

(右差押命令および転付命令が政令第八条第一項に違反する理由)

(1)  政令第八条第一項によれば、「整理財産に属する債務の債権者は、当該債権につき………整理財産に属する資産に対して強制執行………をすることができない。」旨定められているところ、本件強制執行の目的となつた原告の訴外銀行に対する前記預金債権が、右規定にいわゆる「整理財産に属する資産」に該当することはいうまでもない。

(2)  次に、本件強制執行の基本となつた債務名義(公正証書)に表示された原告の債務は、原告が次のような原被告間の委任契約に基いて被告に対し負担した着手金支払の債務である。すなわち原告は、昭和三〇年八月三〇日弁護士である被告に対し、予て原告が大蔵省に対し有していた昭和二〇年度分専売局への塩納入の補償金債権二億〇、三九八万〇、九三八円の取立に関する件一切を委任すると共に、着手金として金六三八万二、〇〇〇円を昭和三二年二月末日までに被告に支払うべき旨を約定した。しかして右契約の締結を証するため昭和三一年一〇月一三日作成されたのが本件公正証書に外ならない。ところで、本件強制執行の基本となつた原告の債務が右のような委任契約に基く債務である以上、この債務は政令第七条第一項第一号にいわゆる「特殊整理に要する費用に係る債務」に属することは明白である。しかしてこのことと、政令第七条第一項本文および同項但書第一号を対照してみれば、このような債務は政令第八条第一項にいわゆる「整理財産に属する債務」の一種に該当するものであることが容易に推論できるのであつて、結局、本件強制執行の基本となつた債務は政令第八条第一項にいわゆる「整理財産に属する債務」であると認められる。

(3)  しかして右(1) および(2) に説示したところを彼此勘案するときは、ひつきよう本件強制執行は、政令第八条第一項の規定する「整理財産に属する債務」の債権者が、当該債権につき、「整理財産に属する資産」に対してなした場合に該当し、まさに同条項に違反するものというべきである。

(四)  以上のとおり本件強制執行(差押命令および転付命令)は政令第八条第一項に違反し、実質上効力を生じないものであり、したがつて本件預金債権は依然原告に帰属するものであるに拘らず、被告はこれを争つているので、本訴確認請求に及んだ次第である。

第三(本訴に対する被告の答弁および主張)

(一)  原告主張の本訴請求原因中、(一)および(二)の事実は認める。同(三)および(四)については、本件強制執行の基本となつた原告の着手金支払の債務が政令第八条第一項にいわゆる「整理財産に属する債務」に該当し、その結果、本件強制執行(差押命令および転付命令)は政令第八条第一項に違反し、実質上無効であるという点、したがつて本件預金債権は依然原告に属するものであるという点は、いずれも否認し、その余は全部認める。

(二)  本件強制執行は、なんら原告主張のように無効なものということはできない。

すなわち、

(1)  本件強制執行の基本となつた原告の着手金支払の債務は、解釈上、原告主張の政令第八条第一項にいわゆる「整理財産に属する債務」に該当せず、したがつて、本件強制執行は毫も同条項に違反するかどはない。

尤も右着手金支払の債務が政令第七条第一項但書第一号にいわゆる「特殊整理に要する費用に係る債務」に該当することは原告主張のとおりである。そしてこのことおよび政令第七条第一項但書第一号と、同条第一項本文、第八条第一項の規定の字句だけを対照すれば、恰かも、右のような「特殊整理に要する費用に係る債務」は「整理財産に属する債務」の一種であつて、したがつて、右のような債務に基いてなした本件強制執行は一応政令第八条の強制執行禁止の規定に違反するもののようにも見える。しかしながら本件政令の全体を通覧するときは、

(い) 元来、同政令にいう「整理財産に属する債務」とは、同令第二条第一項に定義されているとおり、同条第一項第六号ロに列挙された債務を指称するものであることは明白である。ところが前記着手金支払の債務は、右条文に列挙されたもののいずれにも該当しないので、政令の解釈上これを「整理財産に属する債務」とは到底認め難い。そればかりでなく、

(ろ) 政令第一五条第一項は、「特殊整理人は、就職の日から一月以内に少くとも二回の公告をもつて、整理財産に属する債務の債権者に対し、一定の期間内にその債権を申し出るよう催告しなければならない。」と定め、また、同条第三項は、「知れている債権者には各別にその債権の申出を催告しなければならない。」と定めているが、この規定から見ても、「整理財産に属する債務」とは指定日現在における債務を指称するのであつて、本件のような指定日以後に発生する「特殊整理に要する費用に係る債務」の如きは含まないものと解しなければならない。

(は) 「特殊整理に要する費用に係る債務」とは、換言すれば共益費用に外ならない。

ところで、もしこのような共益費用までが「整理財産に属する債務」に該当するものであるとし、したがつて共益費用の弁済を政令所定の制限に服すべきであるとの解釈を採るとすれば、その結果は、特殊整理に関し第三者の協力を得ることが甚だ困難な事態に立ち至るのを免れないことになるのであつて、このような解釈は、外国との間に複雑なる関係を有する在外会社の資産の円滑迅速な整理を図ろうとする本政令の立法趣旨に反し、到底採用できないものである。

(に) 結局、政令第七条第一項但書は、単に、右但書掲記の債務について特殊整理人が任意に弁済等をなし得ることを示した注意規定にすぎないものと解するのが相当であり、かかる趣旨に出た但書の規定を根拠として、逆に同条第一項本文の「整理財産に属する債務」の概念内容を確定せんとするのは、到底正当な見解とは認められない。

以上、要するに、本件強制執行の基本となつた原告の着手金支払の債務は、政令第七条第一項第一号にいわゆる「特殊整理に要する費用に係る債務」に該当するけれども、同条第一項本文および第八条第一項にいわゆる「整理財産に属する債務」には該当しないものである。それ故、本件強制執行(差押命令および転付命令)は右政令第八条第一項に違反するかどはなく、右強制執行が同条項に違反することを理由としこれを無効であるとする原告の主張は失当というべきである。

(2)  仮りに本件強制執行が政令第八条第一項に違反するものであるとしても、前記差押命令および転付命令は、権限ある裁判所が正規の手続を経て発したものであるから、法律上これを瑕疵のある裁判であるというのは格別、これをもつて当然無効な裁判であるといい得ないことはもちろんである。

(3)  要するに本件差押命令および転付命令はなんら無効とはいい難く、その無効なることを前提とする原告の本訴請求は失当といわなければならない。

其の二、反訴請求事件について。

第一(当事者双方の申立)

被告訴訟代理人は、予備的反訴として、「(一)仮りに原告の前記本訴請求が認容される場合は、『原告は、被告に対し、金五三六万一、〇〇〇円を支払え。』との判決を求める。(二)もし被告の右第一次の反訴請求が認容されない場合は、第二次の反訴として、『被告が原告に対し、昭和三一年一〇月一三日東京法務局所属公証人高野正保作成にかかる昭和三一年第一二四三号委任契約公正証書にもとづいて金額五三六万一、〇〇〇円支払期限昭和三二年二月末日なる債権を有することを確認する。反訴の訴訟費用は原告の負担とする。』との判決を求める。」旨申立て、

原告訴訟代理人は、「被告の反訴請求はこれを却下する。反訴の訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、本案については、反訴請求棄却の判決を求めた。

第二(被告の反訴請求原因)

(一)、仮りに被告のなした本件強制執行が無効であつて原告の本訴請求が認容されるものとすれば、原告は被告に対し、本件強制執行の基本となつた公正証書記載の委任契約(前記原告の請求原因中(三)の(2) 参照)に基き同記載の着手金のうち未払分である金五三六万一、〇〇〇円を支払うでき義務を負う筋合である。

よつて被告は、予備的反訴として、原告に対し右金五三六万一、〇〇〇円の支払を求める。

(二)、仮りに、右着手金の請求権につき、現在それが強制執行に適しないとの理由で給付判決を受けることが許されないとすれば被告は第二次の反訴として、被告が原告に対し前記公正証書記載にかかる着手金中、未払分金五三六万一、〇〇〇円の請求権を有することの確認を求める。

第三(被告の反訴請求に対する原告の抗弁)

(一)、(本案前の抗弁)

被告主張にかかる本件着手金請求権は、さきに本訴につき詳述したとおり、政令第八条によりその強制執行が禁止されているから、自然債務に外ならないものというべきである。したがつて右請求権は、裁判上支払を請求できず、またその存在確認を求める利益も存しないものであるから、被告の反訴請求はいずれも不適法として却下されるべきものである。

(二)、(本案に関する抗弁)

仮りにそうでないとしても、本件公正証書に記載された原被告間の右着手金支払の契約については、主務大臣の承認を得ていないから、右契約は政令の全趣旨に照らし無効というべきである。それ故右契約が有効であることを前提とする本件反訴は理由がない。

第四(右抗弁に対する被告の主張)

(一)、本件着手金請求は、たとえ政令第八条第一項によりその強制執行が禁止されているとしても、右規定は、その文理から見ても明白なとおり、単に「整理財産に属する資産」に対する執行を禁止しているだけで、全面的に執行を禁止しているわけではない。つまり、整理財産に属しない財産に対する強制執行は許されるのであるから、右請求権はなんら自然債務に該当せず、原告の本案前の抗弁は理由がない。

(二)、本件着手金支払の契約について、主務大臣の承認を得ていない事実は認めるが、右契約について主務大臣の承認を必要とすべき法令上の根拠はないから、本案に対する原告の抗弁も理由がない。

其の三、(証拠関係)<省略>

理由

第一、(原告の本訴について)

(一)、原告主張の本訴請求原因については、(イ)本件強制執行(差押命令および転付命令)の基本となつた原告の委任契約に基く着手金支払債務が政令第八条第一項にいわゆる「整理財産に属する債務」に該当し、したがつて本件強制執行は同条項に違反するという点、および(ロ)、その結果本件強制執行は実質上無効であつて本件預金債権は依然原告に属するという点、以上の二点を除きその余は全部当事者間に争がない。

(二)、次に本件強制執行と政令第八条第一項との関係について検討する。

政令第八条第一項にいわゆる「整理財産に属する債務」の解釈については、被告の見解にも傾聴すべきものが存することは否定できないけれども、当裁判所はこの点に関する最高裁判所の判例(原告が甲第四号証の三として援用する最高裁判所昭和三六年(オ)第一七二号事件に対する同裁判所の判決参照)の示すとおり、原告の本件着手金支払債務が政令第七条第一項第一号にいう「特殊整理に要する費用に係る債務」に該当するものである以上、右債務は、政令第七条第一項、第八条第一項および第二八条の各規定の文理解釈並びに政令第八条第一項の法意から見て、政令第八条第一項にいう「整理財産に属する債務」に該当するものと解するのを相当と認める。その結果、右債務を基本として原告の「整理財産に属する資産」たる本件預金債権に対しなされた本件強制執行(差押命令および転付命令)は、政令第八条第一項に違反すると認めるの外ないと解する。

(三)、被告は、「仮りに本件強制執行が政令第八条第一項に違反するとしても、右差押命令および転付命令は、権限ある裁判所が正規の手続を経て発したものであるから、これを当然無効の裁判と解することはできない」旨主張する。しかし政令第八条第一項は、在外会社の整理財産に対する特殊整理を、一定の目的と計画に従い円滑に行なわしめようとする法意に出た規定であると解されるのであつて、かかる法意および規定の体裁から見て、同条項は単なる訓示規定ではなく効力規定に外ならないものと解するを相当とする。したがつて右規定に違反してなされた本件差押命令および転付命令は、その内容に添う効力を生ずるに由ないものであり、その意味において実質上無効な裁判であるというべきである。それ故、被告の前記主張は採用できない。

(四)、しからば右差押および転付命令の対象たる本件預金債権は依然原告に帰属している筋合であり、したがつて原告が右預金債権を有することの確認を求める原告の本訴請求は正当として認容すべきである。

第二、(被告の反訴について)

(一)、(本案前の抗弁について)

被告の反訴請求にかかる本件委任契約に基く着手金請求権が、政令第八条第一項にいう「整理財産に属する債務」に該当し、したがつて右請求権については「整理財産に属する資産」に対する強制執行が、右規定の明文をもつて禁止されていることは、原告主張のとおりである。しかし右規定は単に「整理財産に属する資産」に対する強制執行を禁止しているだけで、なんら原告に対する強制執行を全面的に禁止する趣旨でないことは文理上明白である。それ故、「右着手金請求権は、いわゆる自然債務であつて法律上訴求できないものであるから、本件反訴は不適法として却下すべきである」旨の原告の抗弁は採用し難い。

(二)、(本案について)

原告が昭和三〇年八月三〇日、弁護士である被告に対し、予て原告が大蔵省に対し有していた昭和二〇年度分専売局への塩納入の補償金債権二億〇、三九八万〇、九三八円の取立に関する件一切を委任すると共に、着手金として金六三八万二、〇〇〇円を昭和三二年二月末日までに被告に支払うべき旨を約定したことは、当事者間に争がない。

原告は、「右着手金支払の契約については、主務大臣の承認を得ていないから、右契約は政令の全趣旨に照らし無効というべきである。」旨抗弁するけれども、特殊整理人が右契約を締結するについて、主務大臣の承認を必要とする旨定めた直接の規定はないし、かつ本件政令の全趣旨からしても、右契約につき主務大臣の承認を必要とすべき根拠は見出し難いから、原告の右抗弁は採用し難い。

(三)、しからば、被告は原告に対し、右着手金の請求権のうち被告請求にかかる金五六三万一、〇〇〇円の支払を求める権利を有するものといわなければならない。

但し、右請求権については、さきに説示したとおり、政令第八条第一項の規定に従い、原告の「整理財産に属する資産」に対しては強制執行をすることができないことが明らかであるから、原告に対し右金員の支払を求める被告の反訴請求は、右のとおり「整理財産に属する資産」に対し強制執行ができない旨の留保を付して認容すべく、その余は失当として棄却するのが相当である。

(四)、なお被告の第二次の反訴請求は、前記着手金の請求権につき法律上給付判決をすることが許されないことを前提として確認の判決を求めるものであるところ、すでに説示したとおり右請求権について法律上給付判決をすることが許されるのであるから、右請求権の存在確認を求める本件第二次の反訴請求については、判断をすべき筋合ではない。

第三、(結論)

以上の次第であるから、訴訟費用につき民訴八九条、九二条本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 土井王明)

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